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宇宙、地球、大地、生命、自然、愛、魂、21世紀のサイケデリック、YORANDAのデザイナーによる
     
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2017.08.28 (Mon)
母が亡くなりました。

その日私は少年野球の試合でアナウンスを担当していたのです。
相手チームの攻撃時は少し余裕があるので、スマホを見たところ、実家の兄から着信履歴が。もうそれだけで、もう悪い予感だけです。

パニックになりながらも帰宅して荷物をまとめ、
野球の試合の後に地元のお祭りでバンド演奏を終えた子供たちを連れて、新幹線で名古屋へ。

 
 
母はここ数年パーキンソン病で、不自由な体に苦しんでいました。
私が7月の初旬に訪ねた時は、大変そうではあるけれども、近場に歩いて出かけ、外食も供に出来る元気だったのです。
それが7月末に誤嚥性肺炎と感染症で倒れ、2週間ほど入院することに。
きっとその入院でまた体力が落ちてしまったのでしょう。




神経難病はその疾患自体というよりも、その疾患のもたらす体力や抵抗力の衰えによる影響が命取りになることが、ままあるんですね。
実家の2階に暮らす兄が朝1階の母の様子を見に行ったら、すでに意識の無い状態で、きっと痰か何かを喉に詰まらせてしまったのだろうということでした。

70歳の誕生日には、母はスキーはそろそろ引退と言うものの、週に一度はテニスをし、英会話を習い、海外旅行や留学もする元気で、きっと100歳まで生きるね、と話していたのです。
それが77歳の誕生日には、長生きも大変だわねぇ、と話して。
それが最後の誕生日となりました。

   

病気だったこともあって故人の遺志は明らかで、特に葬儀や宗教的なことは何も行わず、兄妹弟、義姉弟にだけお知らせして、自宅から献体に送りました。
父が医療関係の仕事をしていた関係で、夫婦で献体に登録していたのです。

その父は17年ほど前に亡くなって、その時以来の親戚もいたのだけれど、懐かしい祖父母の思い出話などして、彼らの血は私の子供たちにちゃんと受け継がれ、生きて流れているんだなぁと、改めて感じました。
肉体は終わっても、続いているものがあるって、心の救いです。命です。

   

そして年老いた親戚たちがみな口にしたのが、母が自宅で死ねて良かったと。
これは一緒に住み介護してきた兄夫婦への労りの言葉でもあるのだろうと思うけど、長生きし過ぎるよりも、自宅で眠ってるうちに逝きたいというのが、なかなか叶えられない夢なのでしょうね、現代の日本では。

長年病気で苦しんだ末だったので、楽では無かったよ、とも思いますが。

   

少し落ち着くと、遺品の整理や相続の話もしなければなりません。

兄姉と話して改めて思ったのは、両親が亡くなると、家族の繋がりが一気に希薄になってしまうということ。家族解散?みたいな。

子供が生まれてから年に2度は里帰りしていたけれど、もうその理由も、実家自体も無くなってしまう。

ふるさと名古屋が遠い街になってしまう...
大好きな名古屋B級グルメを味わう機会が...!!

これは予期していなかったショックで、母の不在と共に私の心にどっかりと、ドーナツの穴のように居座っているのです。

やはりこれからも毎年、ナゴヤドームのカープ戦は、子供たちを連れて観戦に行かねばならないのかもしれないわ。

 ※ 写真の刺繍は全て母による作品です
  

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