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宇宙、地球、大地、生命、自然、愛、魂、21世紀のサイケデリック、YORANDAのデザイナーによる
     
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Updated   
2018.06.24 (Sun)
私のメンテナンス入院は、毎回3週間超コース。
長いよ3週間は。せめて2週間で終われば違うのだけど。

そんな孤独で単調な幽閉生活を少しでも快適にする為に、私が持ち込んでいるグッズ達を紹介しようと思います。


◆食事編

日々の忙しさを思えば、上げ膳据え膳の食事は有り難いことこの上ないのだけど、やっぱり味的にも油脂的にもあっさりの病院食。
ご飯にはふりかけ。これ必須です。

あと、ひと味足りない時の強〜い味方が、クレイジーソルト。
これさえあれば、何でもかなり行けます。
もちろん塩分制限がある患者さんは怒られちゃいますよ。

この病院に最初に入院した時は、もっと薄味で、お味噌汁などに煮干しの粉末を掛けていましたが、入院する度に風味が向上しているので、栄養科のスタッフも努力されているのでしょう。

あと、朝食を和食、洋食で選ぶことが出来るので、私は洋食にしています。
パンが好きなのもあるけれど、3食和食で似たようなメニューが続くことがあるので、飽きないように。

病院にはカフェがあるので、そこでグランデサイズのコーヒーを買うための、大きなタンブラーも、コーヒー好きの私には必需品。
そしてもちろんチョコレート♪



◆スキンケア編

血漿交換の治療中は首の太い血管にカテーテルが入っているので、シャワーは胸から下に限られます。
そこでドライシャンプーの出番。

私が使っているのは匂いがキツくなくて、病室で使っても部屋の人の迷惑にならないとのレビューを読んで選びました。
普通のシャンプーのようには行かないけれど、有ると無いとでは雲泥の差。

あと首回りや脇をサッパリしたい時には、ビオレのさらさらパウダーシート。
今回は無香のがたまたま売り切れていて、香り付きのを使ったけれど、やっぱり無香が良かったな。

あと病院はとても乾燥するので、全身を保湿する物。
日を追うごとに、ヒルドイドを塗っても塗っても状態になります。

そして週末の夜には、看護師さんのチェックが終わったところで美容マスクを装着。
見回りに来た看護師さんがビックリ!なんて事態も、実は期待していなくもないのだけど?


◆生活編


首の力が弱いので、特に入院初期には、背もたれ首もたれが無いと座っていられません。
その時にベッドの背を立てても、枕が落ちないように、タオルを裏でシーツに留めるのに、目玉クリップ×2を使っています。

あとは本をたくさん。ここぞとばかりに長編を。

そしてiPad。ネットやデザインはもちろん、映画も野球も観れるし、今回はNHKのアプリでW杯を後追いで観まくって、忙しい忙しい!

以前まではポータブルのDVDプレイヤーを持ち込んでいたのだけど、今回はポケットWi-Fiで、これが正解でした。

さてさて、今夜はどんな映画を観ようかな?


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2018.06.20 (Wed)
2年ぶり5回目の入院です。


春先くらいから徐々に身体の疲れやすさを感じるようになって、首から背筋にかけてが弱く、椅子に座っているのも長時間は無理で、ちょくちょく横になって休む必要があって。

眼瞼下垂も酷く、日常生活に制約が多く効率も悪いので、方々への迷惑は承知の上で、子供達の運動会が終わるのを待ってのメンテナンス入院です。



メインの治療は血液浄化療法。血液の中にあるMusk抗体というのが、神経と筋肉の連絡を阻害しているので、血液をフィルターのような物を通して、抗体を取り除く治療です。


首の太い血管にカテーテルを通すのが、ちょっとした恐怖と苦しさを伴います。

それさえ乗り越えれば、治療自体は寝ていれば良いのだけど、私は元々低血圧気味なので、治療中に一旦血液を外に出す影響なのか、血圧が下がり過ぎて気分が悪くなってしまうのが辛いところ。


2時間程の治療の間、早く終わって〜とひたすら念じてます。

血漿交換には何種類かあり、最初は一番除去する成分が少なくて済む、免疫吸着を3回行ったのだけど、思ったほどの効果が無いということで、二重膜濾過法に切り替えることに。


やはり効果は明らかで、寝ている状態で首や両脚を上げようとしても、全く力の入れ方も分からなかったのが、少し持ち上がるようになりました。

この方法の欠点は、抜けてしまう成分が多いので、血液製剤の輸血が必要なことと、血液がサラサラになり過ぎてしまうので、退院が延びることです。



そしてこのタイミングでステロイドの点滴を始めます。これはある程度抗体を減らしてから始めないと、急激に症状が悪化する危険を伴うのです。

ステロイドへの身体の反応は速攻で、顔は真っ赤に浮腫み、脈が激しく打って、夜は全く眠れない。


看護師さんが、W杯サッカー見てドキドキして大丈夫かな?と心配してくれました。


点滴は3日間なのだけど、3日目はだいぶ落ち着いて来たから、初期反応が激しいのかな。
そして効果も大きくて、首も脚も楽に持ち上がるようになりました。


血漿交換は週に2回、計6〜7回、透析室で行います。

透析室では臨床工学技士(ME)の方々にお世話になるのだけど、皆さん賢そうで格好良くて憧れてしまうわ。

看護師さんは献身的だし、病院には医師以外にもヒーローがたくさん居ます。



それで残りの週5日は何をやっているかというと、暇〜なはずなんだけど…

ところが次入院したら読もうと思ってた本も山積みだし、iPadでTシャツのデザインもやりたい。

ポケットWi-Fiを1ヶ月レンタルしたので、AmazonPrimeで映画も観れるし、スカパー!オンデマンドで野球も観れる。W杯も始まった。

そろそろ退院予定も見えて来たのだけど、いやまだ読んでない本あるし?みたいな。



でもでも、家事育児を全て夫がワンオペしているし、子供達もナナにゃんも母の帰りを待ちわびているはずなので、出来るだけ早く帰りますよー!

帰ったらすぐに動けるように、毎日階段を登り降りして、病院の屋上を散歩したりしています。

今日は初めて2階分をスムーズに登れましたよ。


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2017.12.31 (Sun)
2017年も暮れでございます。

あれこれありました。


今年は他の仕事が忙しかったり、後半は目の調子が悪かったりで、あまり新デザインを出すことが出来ませんでした。

入院しなかったということでもあるので、それは良かったのだけど。。


年末には新しい眼鏡も作ったし、2018年はもう少しTシャツデザインに注力しようと思っております。

ラフを描いたまま寝かせているデザインも色々あるのです。ふふふ。


今年はバラバラとやっていた仕事を会社にまとめて、ほとんど家で仕事をするようになったので、身体的にはグッと楽になり、前ほどコンスタントに入院治療が必要にならないように感じています。


それでもステロイドを減らしていくにつれ、徐々に徐々に症状は出てくるので、どこかで入院して一気に引き上げる必要があるのかどうか。

一回の入院は3週間。家族に影響することなので、出来るだけ先延ばしすべく、無理せずゆったりのんびり過ごすことが肝要。


つまりは私の得意分野です。



   こ〜んな感じで参ります。



まぁ本当はもっと活動したいんですけどね。


みなさまに喜びの多い新年を。




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2017.09.15 (Fri)
親の介護が必要になった時、仕事は辞めなければならないだろう.。
そう思っている人も多いのではないかと思います。

あくまで「ウチの母の場合」ですが、こんな風にしていました。


母がパーキンソン病になったことが分かり、介護が必要だとなった時、母と話したのは、とにかく同居している義姉が仕事を続けられるように、という事でした。

実家は二世帯住宅で、玄関は一緒、キッチンなど水回りは別という同居形態。
兄夫婦には子供がなく、共に会社員で責任ある仕事を任され、毎晩遅く帰る生活。
果たしてその生活を維持しながら、徐々に不自由になるであろう母の介護は出来るのか?

まずは親戚に介護マネージャーさんを紹介してもらい、介護保険でどのようなサービスが受けられるか相談しました。

最初のうちは要支援で、週に数回ヘルパーさんに来てもらう生活だったと思います。
しかしどんどん症状は進み、身体の自由が利かなくなり、要介護度も進みます。


母はデイケアに通い、入浴やリハビリの支援を受けることに。
しかしデイのお迎えは出勤後。帰宅も夕方です。
母はドアベルが鳴っても玄関まで行き鍵を開けるのは難しい。
それで登場するのがキーボックス。鍵を入れて玄関扉に下げておき、暗証番号で開けてもらうのです。

  

母は最初、デイに行くのをかなり嫌がっていました。
デイでは色々な活動をやらされ「幼稚園みたいよ」などと文句たらたら。

でも元々得意だった手芸に活路を見出し、みんなに褒められて気分が悪いはずもなく。
そのうち気の合う友人も出来たようで、お互いにファッションを褒めあったりして。
女性はお互いに気分を上げるのが上手ですね。何歳になっても。


夕方にはヘルパーさんが来て、洗濯、掃除、夕食の支度をしてくれます。
食事の材料は、ヘルパーさんが限られた時間ですぐ出来るような、簡易調理品などを用意しておきます。後は冷蔵庫にある野菜などを適当に調理してもらえます。
しかし食材を買う人、調理をする人、食べる人が全部違うので、なかなか難しい部分もあったみたい。


身体の動きが悪くなるにつれ、介護ベッドや手すり、捕まり歩きできるような補助具など、全てケアマネさんのアドバイスで、介護保険を使ってレンタルしました。

 
介護ベッドをリビングに置いて、移動を少なく。ベッドもテーブルも手芸用具があふれています。母の身体が傾いているのは病気の症状です。

通院の時や、転倒して骨折したり、薬の調整などで入院することもしばしばあり、そんな時は兄と義姉で交代で付き添っていました。
職場の上司は親の介護を経験している世代で、理解をしてもらっているから大丈夫と言ってましたが、大変だったと思います。

そうして母は一応は自立した生活を送ることが出来ていました。
プライドが高くて、人の負担になるのを嫌った母には、良かったのではないかと思います。

ただ段々と身体が動かなくなり、伝い歩きでトイレに行くのも大変で間に合わなかったり、夜中に起きて転ぶと起き上がれず、朝までそのままになっていたり。
認知も徐々に悪くなってきて、薬を飲み忘れることもしばしば。

そろそろ自活も限界だろうか?施設の世話になるとしたら、どんな所があるのだろうか?などと話していた矢先に、亡くなってしまったのです。

育児と違って、介護はいつまで続くか分からない。しかもどんどん悪くなっていく。
そして、突然、終わるんですね。


だからこそ、大勢の人の手を借りながら、制度を目一杯利用しながら、母には辛いところもあったかもしれないけれど、家族みんなが出来るだけ以前と変わらない生活を続けて行って正解だったと、私は思っています。

私は遠方に暮らしていて、母の介護は兄夫婦に任せきりで、本人たちは私の知らない苦労が山ほどあったと思います。
ブログになんかしたら、とても1回じゃ収まりきらないでしょうね。

今、兄夫婦が燃え尽きて脱け殻になっていないか、それがちょっと心配。


多分今の私より若い両親...
お正月で母はおめかししていますが、父は普段着ですね。


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2017.08.28 (Mon)
母が亡くなりました。

その日私は少年野球の試合でアナウンスを担当していたのです。
相手チームの攻撃時は少し余裕があるので、スマホを見たところ、実家の兄から着信履歴が。もうそれだけで、もう悪い予感だけです。

パニックになりながらも帰宅して荷物をまとめ、
野球の試合の後に地元のお祭りでバンド演奏を終えた子供たちを連れて、新幹線で名古屋へ。

 
 
母はここ数年パーキンソン病で、不自由な体に苦しんでいました。
私が7月の初旬に訪ねた時は、大変そうではあるけれども、近場に歩いて出かけ、外食も供に出来る元気だったのです。
それが7月末に誤嚥性肺炎と感染症で倒れ、2週間ほど入院することに。
きっとその入院でまた体力が落ちてしまったのでしょう。




神経難病はその疾患自体というよりも、その疾患のもたらす体力や抵抗力の衰えによる影響が命取りになることが、ままあるんですね。
実家の2階に暮らす兄が朝1階の母の様子を見に行ったら、すでに意識の無い状態で、きっと痰か何かを喉に詰まらせてしまったのだろうということでした。

70歳の誕生日には、母はスキーはそろそろ引退と言うものの、週に一度はテニスをし、英会話を習い、海外旅行や留学もする元気で、きっと100歳まで生きるね、と話していたのです。
それが77歳の誕生日には、長生きも大変だわねぇ、と話して。
それが最後の誕生日となりました。

   

病気だったこともあって故人の遺志は明らかで、特に葬儀や宗教的なことは何も行わず、兄妹弟、義姉弟にだけお知らせして、自宅から献体に送りました。
父が医療関係の仕事をしていた関係で、夫婦で献体に登録していたのです。

その父は17年ほど前に亡くなって、その時以来の親戚もいたのだけれど、懐かしい祖父母の思い出話などして、彼らの血は私の子供たちにちゃんと受け継がれ、生きて流れているんだなぁと、改めて感じました。
肉体は終わっても、続いているものがあるって、心の救いです。命です。

   

そして年老いた親戚たちがみな口にしたのが、母が自宅で死ねて良かったと。
これは一緒に住み介護してきた兄夫婦への労りの言葉でもあるのだろうと思うけど、長生きし過ぎるよりも、自宅で眠ってるうちに逝きたいというのが、なかなか叶えられない夢なのでしょうね、現代の日本では。

長年病気で苦しんだ末だったので、楽では無かったよ、とも思いますが。

   

少し落ち着くと、遺品の整理や相続の話もしなければなりません。

兄姉と話して改めて思ったのは、両親が亡くなると、家族の繋がりが一気に希薄になってしまうということ。家族解散?みたいな。

子供が生まれてから年に2度は里帰りしていたけれど、もうその理由も、実家自体も無くなってしまう。

ふるさと名古屋が遠い街になってしまう...
大好きな名古屋B級グルメを味わう機会が...!!

これは予期していなかったショックで、母の不在と共に私の心にどっかりと、ドーナツの穴のように居座っているのです。

やはりこれからも毎年、ナゴヤドームのカープ戦は、子供たちを連れて観戦に行かねばならないのかもしれないわ。

 ※ 写真の刺繍は全て母による作品です
  

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