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宇宙、地球、大地、生命、自然、愛、魂、21世紀のサイケデリック、YORANDAのデザイナーによる
     
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2024.04.26 (Fri)
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2017.09.15 (Fri)
親の介護が必要になった時、仕事は辞めなければならないだろう.。
そう思っている人も多いのではないかと思います。

あくまで「ウチの母の場合」ですが、こんな風にしていました。


母がパーキンソン病になったことが分かり、介護が必要だとなった時、母と話したのは、とにかく同居している義姉が仕事を続けられるように、という事でした。

実家は二世帯住宅で、玄関は一緒、キッチンなど水回りは別という同居形態。
兄夫婦には子供がなく、共に会社員で責任ある仕事を任され、毎晩遅く帰る生活。
果たしてその生活を維持しながら、徐々に不自由になるであろう母の介護は出来るのか?

まずは親戚に介護マネージャーさんを紹介してもらい、介護保険でどのようなサービスが受けられるか相談しました。

最初のうちは要支援で、週に数回ヘルパーさんに来てもらう生活だったと思います。
しかしどんどん症状は進み、身体の自由が利かなくなり、要介護度も進みます。


母はデイケアに通い、入浴やリハビリの支援を受けることに。
しかしデイのお迎えは出勤後。帰宅も夕方です。
母はドアベルが鳴っても玄関まで行き鍵を開けるのは難しい。
それで登場するのがキーボックス。鍵を入れて玄関扉に下げておき、暗証番号で開けてもらうのです。

  

母は最初、デイに行くのをかなり嫌がっていました。
デイでは色々な活動をやらされ「幼稚園みたいよ」などと文句たらたら。

でも元々得意だった手芸に活路を見出し、みんなに褒められて気分が悪いはずもなく。
そのうち気の合う友人も出来たようで、お互いにファッションを褒めあったりして。
女性はお互いに気分を上げるのが上手ですね。何歳になっても。


夕方にはヘルパーさんが来て、洗濯、掃除、夕食の支度をしてくれます。
食事の材料は、ヘルパーさんが限られた時間ですぐ出来るような、簡易調理品などを用意しておきます。後は冷蔵庫にある野菜などを適当に調理してもらえます。
しかし食材を買う人、調理をする人、食べる人が全部違うので、なかなか難しい部分もあったみたい。


身体の動きが悪くなるにつれ、介護ベッドや手すり、捕まり歩きできるような補助具など、全てケアマネさんのアドバイスで、介護保険を使ってレンタルしました。

 
介護ベッドをリビングに置いて、移動を少なく。ベッドもテーブルも手芸用具があふれています。母の身体が傾いているのは病気の症状です。

通院の時や、転倒して骨折したり、薬の調整などで入院することもしばしばあり、そんな時は兄と義姉で交代で付き添っていました。
職場の上司は親の介護を経験している世代で、理解をしてもらっているから大丈夫と言ってましたが、大変だったと思います。

そうして母は一応は自立した生活を送ることが出来ていました。
プライドが高くて、人の負担になるのを嫌った母には、良かったのではないかと思います。

ただ段々と身体が動かなくなり、伝い歩きでトイレに行くのも大変で間に合わなかったり、夜中に起きて転ぶと起き上がれず、朝までそのままになっていたり。
認知も徐々に悪くなってきて、薬を飲み忘れることもしばしば。

そろそろ自活も限界だろうか?施設の世話になるとしたら、どんな所があるのだろうか?などと話していた矢先に、亡くなってしまったのです。

育児と違って、介護はいつまで続くか分からない。しかもどんどん悪くなっていく。
そして、突然、終わるんですね。


だからこそ、大勢の人の手を借りながら、制度を目一杯利用しながら、母には辛いところもあったかもしれないけれど、家族みんなが出来るだけ以前と変わらない生活を続けて行って正解だったと、私は思っています。

私は遠方に暮らしていて、母の介護は兄夫婦に任せきりで、本人たちは私の知らない苦労が山ほどあったと思います。
ブログになんかしたら、とても1回じゃ収まりきらないでしょうね。

今、兄夫婦が燃え尽きて脱け殻になっていないか、それがちょっと心配。


多分今の私より若い両親...
お正月で母はおめかししていますが、父は普段着ですね。


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2017.08.28 (Mon)
母が亡くなりました。

その日私は少年野球の試合でアナウンスを担当していたのです。
相手チームの攻撃時は少し余裕があるので、スマホを見たところ、実家の兄から着信履歴が。もうそれだけで、もう悪い予感だけです。

パニックになりながらも帰宅して荷物をまとめ、
野球の試合の後に地元のお祭りでバンド演奏を終えた子供たちを連れて、新幹線で名古屋へ。

 
 
母はここ数年パーキンソン病で、不自由な体に苦しんでいました。
私が7月の初旬に訪ねた時は、大変そうではあるけれども、近場に歩いて出かけ、外食も供に出来る元気だったのです。
それが7月末に誤嚥性肺炎と感染症で倒れ、2週間ほど入院することに。
きっとその入院でまた体力が落ちてしまったのでしょう。




神経難病はその疾患自体というよりも、その疾患のもたらす体力や抵抗力の衰えによる影響が命取りになることが、ままあるんですね。
実家の2階に暮らす兄が朝1階の母の様子を見に行ったら、すでに意識の無い状態で、きっと痰か何かを喉に詰まらせてしまったのだろうということでした。

70歳の誕生日には、母はスキーはそろそろ引退と言うものの、週に一度はテニスをし、英会話を習い、海外旅行や留学もする元気で、きっと100歳まで生きるね、と話していたのです。
それが77歳の誕生日には、長生きも大変だわねぇ、と話して。
それが最後の誕生日となりました。

   

病気だったこともあって故人の遺志は明らかで、特に葬儀や宗教的なことは何も行わず、兄妹弟、義姉弟にだけお知らせして、自宅から献体に送りました。
父が医療関係の仕事をしていた関係で、夫婦で献体に登録していたのです。

その父は17年ほど前に亡くなって、その時以来の親戚もいたのだけれど、懐かしい祖父母の思い出話などして、彼らの血は私の子供たちにちゃんと受け継がれ、生きて流れているんだなぁと、改めて感じました。
肉体は終わっても、続いているものがあるって、心の救いです。命です。

   

そして年老いた親戚たちがみな口にしたのが、母が自宅で死ねて良かったと。
これは一緒に住み介護してきた兄夫婦への労りの言葉でもあるのだろうと思うけど、長生きし過ぎるよりも、自宅で眠ってるうちに逝きたいというのが、なかなか叶えられない夢なのでしょうね、現代の日本では。

長年病気で苦しんだ末だったので、楽では無かったよ、とも思いますが。

   

少し落ち着くと、遺品の整理や相続の話もしなければなりません。

兄姉と話して改めて思ったのは、両親が亡くなると、家族の繋がりが一気に希薄になってしまうということ。家族解散?みたいな。

子供が生まれてから年に2度は里帰りしていたけれど、もうその理由も、実家自体も無くなってしまう。

ふるさと名古屋が遠い街になってしまう...
大好きな名古屋B級グルメを味わう機会が...!!

これは予期していなかったショックで、母の不在と共に私の心にどっかりと、ドーナツの穴のように居座っているのです。

やはりこれからも毎年、ナゴヤドームのカープ戦は、子供たちを連れて観戦に行かねばならないのかもしれないわ。

 ※ 写真の刺繍は全て母による作品です
  

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2017.06.25 (Sun)
私には2年生になる息子がおりまして、親の影響をもろに受け、モッカのところ野球大好き少年です。
小学校入学を待っていましたとばかりに少年野球チームに入り、元気いっぱいグラウンドを駆け回ったと思えば 、しんどくなると痛くもない脚を半べそで引きずって、休憩を勝ち取ったりしております。

そのチームですが、とにかく弱いんです。
2年生の息子が時折試合に出ちゃうくらい、メンバーが足りていない現状もあるのですが、上級生もぶっちゃけ目を覆う下手さなのです。

練習は一生懸命するんです。
でも試合になるとエラーを量産するから、1つアウトを取るのに四苦八苦。
何故だろう?練習で普通に出来ているプレーが、試合になると出来ない。
とんでもない信じられないミスをする。

NHKの奇跡のレッスンという番組で、元ロッテ監督のバレンタイン氏がこう言っていました。
「練習では出来るのに試合になるとミスをしてしまうのは、ご両親が見ているからです。子供達はお母さんお父さんに自分の良いプレーを見てもらいたくて意識してしまうのです。練習の時から子供達が良いプレーをしたら、たっぷり褒めてあげてください。そうすれば、子供達は試合でも安心してプレーすることが出来ます」

スポーツ少年団からも子供達を積極的に褒めましょう、という指導があり、その日はコーチ達も笑えるほどに大袈裟に褒めていましたが、元来体育会で怒鳴られ殴られ、その中をサバイブしてきた彼らですから、長く続く訳もなく。
伝統という名の軍国教育の弊害はどっこいしぶとく生きているのです。


息子が少年野球で砂まみれになっている間、娘は絵画教室に参加しています。
私もただ付き添うのも退屈なので、大人のグループに参加して、柄にもなく静物画など描いております。
そこで私はデザインとアートの次元の違いを痛感させられるのですが、それはまた違う話で。

絵画教室に集うのは、野球チームとは真逆の人種。

作品が出来ると先生に講評してもらえるのだが、大人の作品も子供のでも、プロから見たらとんでもなく下手くそであろう絵を前にしても、とにかく何かしら良いところを見つけて褒めてくれる。
そして決して批判しないのです。
先生が言うには「批判をすると、指導しなければいけなくなる。指導をすると、伸びる芽を摘んでしまう」
学校の授業などは指導のし過ぎで、折角の個性を壊してしまっていると。

子供は自由に勝手に伸びて行く。大人に出来るのは、その邪魔をしないこと。
言うが易し。これが難しいのだよ。

褒めて伸ばす。
まだまだ考察が必要な案件です。


トケイソウの季節ですね

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2017.03.29 (Wed)
自分でもビックリです。

YORANDA、アストロボのTシャツデザイン、その他のデザイン業務、投資関連を全て引っくるめて、会社で運営することにしました。

合同会社 nobody、降誕です。


nobody……何者でもない。そんな私ひとりの出帆ですが、無から何かを形創るのが、私に与えられたギフトであり使命。

誰かの日常をほんの少しでも楽しく豊かにするような何かを…
出来ればより多くの誰かに喜んでもらえるような何かを…
創り出し提供していきたい。それが社是であります。


しかしそれにしても、新たに会社を作る事務作業の煩雑なこと!

そしてまぁいちいちと、細かいところまで税金の網の用意されていること!
合同会社という敷居の低い起業にしたところで、なかなかのハードルでした。


そんなこんなで、新デザインの提案が滞っておりましたが、春です。Tシャツの季節到来です。
頭の中のアイディアが、今か今かと具現化を待ちわびています。
社長、兼、ヒラ社員、ですから、自分が動くのみ。
乞うご期待でございます。


そして春がもたらした良いしらせがもうひとつ。

YORANDAの hana peace が、お世話になっているTシャツトリニティの、母の日企画にピックアップされました。
モデルさんに着てもらえると嬉しいですね。


母の日のプレゼント、お花もいいけどお花プリントのTシャツもね。アリかもね?

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2017.02.23 (Thu)
私には小学2年生の娘がいるのですが、多くの小学校でこの時期、生まれてからの成長を振り返るという課題を授業でやるわけです。
賛否分かれる二分の一成人式が4年生で控えているのですから、その時にまとめてやれば良いのでは?とも思うのですが…
 
ともあれ、娘が生まれた時から、乳児、幼児の頃について、インタビューを受けました。
特に1歳〜3歳について、本人の記憶もない中で、数あるエピソード(伝説?)から娘が選んだものをご紹介したいと思います。
 

ある日、娘と生まれたばかりの息子を連れて、近所の公園に行った時のこと。

たっぷり遊んでお昼になり、赤子もお腹が空く時間。
「帰るよ」と言っても全く聞く耳を持たない娘。
何回言ってもダメなので、仕方なくベビーカーを押して、娘を置いて帰るポーズ。
そしたら娘、「待てぇーーぇーー!」と叫びながら、道路をハイハイで追い掛けて来た!
スティーブン・キングのホラー映画かと思いましたよ。
 

またある日、イオンに買い物に。

どうってことのないポーチを勝手にカゴに入れる娘。
「要らないでしょ。買わないよ」と棚に戻して、手を引いて行こうとするが逃走。
走って行ってポーチを掴むや、床に叩きつけ踏みつぶした!
 
いやいや、柔らかいポーチだから、壊れなくて良かったですよ。
先日スーパーで、何故か海苔を投げて泣き叫んでる子が居ましたからね。
海苔、折れてたし、安くないし、そりゃぁお母さん、怒ってましたよねぇ。
 

ちょっと話が逸れましたが、つまり何が言いたいかっていうと、

今、魔の2歳3歳を相手に、途方に暮れ疲れ切っているお母さん、お父さん。
全てはいつか、笑い話になりますよ。
子供に話して聞かせると大笑いして喜ぶので、ネタ帳を作っておくといいかもしれません?
 

ま、そういう私も、こと息子に関しては、今だ現役の悩ミストなわけですが…。

もう7歳なんですけどねぇ…。終わらないイヤイヤ。


 

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